まめしばたんは生きたい。

うつとか、注意欠陥型ADHDとか、就労とか、毒親とか。母親に人生搾取された女がそれでも生きようとあがくブログ。

NHKの震災番組を見た

今日のお昼頃やっていた、NHKの震災番組を見た。内容は未だ身元のわからないご遺体や、新たに見つかったご遺体を引き取った遺族のドキュメントだった。

 

中でも印象的だったのが、私とさほど年代の変わらない被災して行方不明になっていた女性が、最近になって、ご遺体の一部が見つかり、それをご遺族が引き取った話だ。

 

ご遺族は引き取って愛おしそうに遺骨の入った箱をなでていたものの、いざとなると、小さく、そして姿が変わってしまった娘に会う気持ちに整理がつけられず戸惑っているという話だった。

 

そうして2週間後、女性の父母は、女性と対面する。その場面は取材されていなかったが、対面の後日、箱から娘を出してあげてピンクの柔らかい布に載せた小さな遺骨がアップで映された。ご遺族は優しい笑顔で遺骨に話しかけていた。

 

とても私はショックを受けた。

夕方ぐらいまでひきずった。

けれどもやっと整理がついた。

 

女性はとても小さな、骨のかけらになった、けれども、そこはちゃんと女性の魂の入れ物のような…難しい。悲しいけれどもずっと悲しいと思わないで欲しいと、可哀想な姿にとか思わないで欲しいと、思った。

 

アミニズム?というのだったか、きっとその小さな骨のかけらに女性はちゃんと宿っていて、そこにいて、お父さんとお母さんと一緒に、眠っていたり、笑っていたり、お酒飲んでいたり、励ましていたり、なに泣いてるのよ、帰ってきたわよ心配でって言ってるんかなとそう思う。(ご遺骨はお墓には入れないそうです)

 

そして、女性は旅にも出ているのかなとも思う。広い広い地球をたくさん見る旅。マゼランもなしえなかった旅を。勝手ですが、そう信じさせてください。

 

自分も人生の中で、ご遺体の一部しか…という経験があって、未だに整理がついていない。今日の番組で、少し向き合うことができた。これからもきっと女性のことを思い出すことだろう。

 

取材に応じてくださったご遺族の方々、感謝という表現はおこがましいですが、それしか見つからず、申し訳ありません。でも、日本のすみっこのたったひとりの人間に絶望したひきこもりですが、人はやはり尊いと思えました。

いつか社会復帰したら私も絶望から人を救いたいと思っています。