それは私だよ
最近「ヒグチアイ」という女性シンガーソングライターにハマっている。
最初はなんだ椎名林檎の焼き直しかとも思ったのだがなんか違う。
ラジオで聞いた前線という曲。
ヒグチアイ (Ai Higuchi) / 前線 (Zensen)
この中にこんな歌詞が出てくる
満員電車 泣き叫ぶ
子ども あやす母親が
引退して 結婚した
かつての戦友に似てた
一緒に「前線」に立っていたのにどうしちまったんだよこんちきしょうって歌なのだけども。
私も一応「前線」に立っていた教員時代があって、
その時にどうにもならないピンチになるとどこからかなぜか駆けつけて助けてくれる先輩がいた。
情けない、泣きまくってる私をダサいとも言わずに助けてくれた先輩のことを思い出して、きっと、先輩はもう子供あやす母親になって「前線」からは退いたのかなあとか、
勝手にセンチメンタルになっていたりしたのだけど。
いや、よく考えたら「かつての戦友」は私の方じゃないかって。
ハッとしてしまったけどもう遅くて。
「前線」から退職して、もう5年以上もたって、
すっかり、「前線」にいたころの角も、エネルギーも、やりがいも、感動も、笑うことも、怒りを感じることもなくなって、
ああ、そっか。「前線」を退いたのは私の方だ。
退いて穏やかになっちゃってるのは私だったんだ。
先輩、もう私のことは忘れているだろうけど、もう私は「前線」には立てません。
いつかまた一緒に「前線」で戦いたかったです。
先輩に言われてた通り、死にました。刀で腹を貫かれて血反吐はいて笑いながら地面に倒れて死にました。それはそれはクソな死にざまでした。見られなくてよかったです。
いつかまた異動して「あの日はさぁ、」なんて話したかった。
もっともっと、いろんな話したかった。また一緒に学年持ちたかった。
その時は、先輩が学年主任で、私が副主任位のキャリアだったかもしれない。
けどもうかなわないや。
さようなら。泣きながら前に進むしかないや。
ヒグチアイさんの曲はなんだか近しいものを感じます。
傷ついて手に入れたもの、失ったもの、この人もきっと生きにくいんだろうなーと思いながら聞いてます。おすすめ。
ま