まめしばたんは生きたい。

うつとか、注意欠陥型ADHDとか、就労とか、毒親とか。母親に人生搾取された女がそれでも生きようとあがくブログ。

まめしばたんは朝のコーヒーに憧れる

おはようございます。まめしばたんです。

朝ごはん→ゴミ捨てが終わり、ラジオを聴きながらブログ書いてます。

淹れたてのコーヒーが飲みたいです。でも、わたくしコーヒーが飲めません。

コーヒーの香りも味も好きなんですが、飲むと、過呼吸というか、気持ち悪くなるというか、とにかく具合が悪くなるんです。

 

ちなみに、ADHDパニック障害は、カフェインに過敏だから控えたほうがいいと書いてある本もありました。

 

ですので、この症状が出てからはこれからかかわりがあるであろう出先でコーヒーが出された際は大変心苦しいのですが

「すみません、私コーヒー飲むと気持ち悪くなるんです。」

と伝えるようにしています。

それほどかかわりがない場所で出された際は、口をすこーしだけつけて、お気持ちだけいただくようにしています。

コーヒーだして残されたりしてもこういう背景がある人間もいるので、気を悪くなさらないでくださいね。

 

わたくし昔は小学校の教員をしておりました。業界に入った一年目の頃(学校社会は封建的で20代だったし非常勤だった為立場がすごーく低かった)ベテランの女性の教員が機嫌が悪いと

「まめしばたんはブラックでいいよね!!」ドンッ!!

なーんてカップに並々とコーヒーを出されたこともありました。あれはわざとだな?

ちなみにコーヒー飲むと具合悪くなることは、心苦しながらも伝えてありました。

 

 

そんな時は、とりあえず冷静に深呼吸して

「ありがとうございます。」と言い、

カップに口を付けるフリをして、流しに捨てました。

ごめんなさい、コーヒーさんに。でも、体は大切です。資本です。

 

暗くなっちゃいましたね(^-^;

 

そんな一年目の頃、担任を持っている教員の休み時間や放課後の至福の一杯は、担外の女性職員で淹れるという慣習がありました。

ええ。淹れるんです。一杯一杯、丁寧に、ドリッパーで。

 

最初こそ、まとめて作って、飲みたい人が入れて飲んだらよくね?と思っていたものの、コーヒーを淹れるって案外楽しい。

 

コーヒーの粉にお湯を注いだ瞬間に立ち上る香りをかぐと、音を聴くと、とても心が安らぐ。

心に余裕ができると外の景色を見るようになる。

あ、あんなとこに用務員さんが大根畑作ってるとか、気づくようになる。

同じ担外の教員たちと、さりげない会話ができるようになる。

そうして洗脳されていく(白目)

いつしか、コーヒーを淹れるという行為が、リラックスの為のルーティーンになっていました。茶道でお茶を立てる行為に似ているんでしょうか?

 

まあ、うちの学年の先生方は殆ど職員室に戻ってこなかったので淹れたコーヒーは無駄になってしまいましたがね!!でも、淹れないと言われちゃうからね!!めんどくさい!!

 

そんな経験もあって、今でも、早く起きた朝は、

「あ、コーヒー淹れたいな。」

とか思ったりするわけです。

 

たまに安いインスタントコーヒーを買って、淹れて飲んで、気分が悪くなって後悔する日々です(^-^;ああ、面倒くさい身体だ。