続、母のこと、少し
ブログを読み返していたら断片的に思い出してしまって辛いので、書き残しておきます。
母はその後、私が小学5年生の時に再び働き始めます。
夏休みの少し前のことでした。
生協から、カップラーメンワカメ醤油味が箱で大量に届きました。
母は夏休みは昼ごはんこれを食べなさいと言いました。
私は、こんなに毎日食べられないよ、体にも悪いし、と言いました。
すると母は、だって会社の人に、犠牲にするところは犠牲にしなきゃ、やっていけないよ、と言われたんだもん、と言って、何度も言って泣き出しました。
子どもを犠牲にしてまで、働きたかったようです。我が子を犠牲にするなんて凄い母だなと今は思います。
泣かれたので、私はまた母を困らせてしまったと思いました。
夏休みの昼ごはんは、自分で、妹の分まで作りました。
そこにつけこまれました。
母は家に帰って来て、私が夕飯を作っていないと怒るようになりました。家族の夕飯も私が作るようになりました。
こうして、母は自分の好きな人生を生き、私はそんな母が幸せでいられるよう操られる人形になりました。
今でも母のことはとても憎んでいます。
ま