体験記の箸休め 発達障害の告知と受容
どうも、まめしばたんです。
本日から発達障害者就労支援センターの話をまとめて行こうとぼちぼちと思います。
とはいえ、あまりお世話にはならなかったし、正直いい思いをしなかったので、内容はうっすーくなると思います(^-^;
気分によって内容が変わるのごめんなさい。
ただその前に箸休めとして、発達障害を告知されてから障害を受容できるようになるまでが、結構大切なプロセスだったように思うので書き留めておきます。しばしのお付き合いを。
発達障害の人にも、そうじゃない人にも、グレーゾーンな人にも、また、発達障害に関わり、理解しようとする、全ての人への障害の理解の一助になりますよう願い、私自身の体験をここに記します。
・発達障害についての告知
私は発達障害のグレーゾーンです。
一番最初に知ったのは、やはり臨床心理士さんとのお話の中で、でした。
確かもう4年目のお付き合いになるくらいの頃、両親は発達障害(アスペルガーではないか?)だね、という話にいったんまとまったところで、
「そういえば、発達障害って遺伝的要因(当時)もあるって聞いたな」
と思い出し、なんとなく何週間か前からうっすら感じてはいたのですが、
まさかそんなことは無いよな、と思って臨床心理士さんに聞いてみたんです。
「あの、心配なのが、両親がアスペルガーってことは自分もアスペルガーなんじゃないかってことなんですけど・・・」
おずおずと聞くと、臨床心理士さんは、ノートを閉じて悲しそうに目を伏せて言いました。
「うん。その傾向は、あるね。」
大変ショックでした。混乱しました。臨床心理士さんは
「傾向が有るってだけで、多少生きにくい原因に関わっているだけだよ。」
と言って落ち着かせようとしてくれたんですが、受け入れることは、できませんでした。
ショックでどうしよう?なんで?どうして?と、取り乱した独り言をとにかくぶつぶつと言ってその日のセッションは終わりました。
その後は正直言って色んな嫌悪感に苛まれました。
自分は普通の人とは違う。
自分も周りの人から見たら両親のような奇天烈な人間なんだ。
自分はもう幸せな人生は諦めなければならない。
将来自分も両親のような、あんな残酷で外道な人間になってしまうんだ!!というのが一番苦しかったです。一番憎んでいる人間に自分もなっていくという恐怖。
こうしてみると、発達障害がショックだったというより、両親のように自分もなるんだという告知に捉えてしまってショックだったのかもしれません。
キリが良いので今日はここまで。後味悪くてごめんなさいね(^-^;
ま