まめしばたんは生きたい。

うつとか、注意欠陥型ADHDとか、就労とか、毒親とか。母親に人生搾取された女がそれでも生きようとあがくブログ。

通過儀礼としての親殺し

通過儀礼としての親殺しが分からなくて、よく悩んでいるまめです。

分からないと言うより封じられてきたのかもしれません。

 

そもそも、思春期に反抗期を迎えて、親も人間だと知り、親って万能じゃないんだなと言うことを知ることが親殺し、らしいんですが…

その時期は母に当たる人から「反抗期がないわねぇ」「アンタは歩く道徳みたいだから」と都合の良いことを吹き込まれてきたので、反抗期をしなかったのです。通過儀礼スルー。

幼少期から暴力、精神的虐待で親は絶対的尺度だと洗脳されていた私はそれを親の都合のいい体だとは気づかず、疑いもせず。むしろ誇らしく思ったものです。

 

だから、前回の診察で先生に、君は自分に怒っているのかい、と聞かれた時に咄嗟に嘘を言っていました。私が本当に怒っているのは、戸籍上の母と呼ばれる人で、親殺しをちゃんとして、自立させて欲しかった。またちゃんと殺されて私から離れて欲しかった。

でもそれをしたら、私が殺されていたかもしれません。

 

今はとりあえず、家族は私が子供の頃に全員死んだことにしています。あっちがどうなっていても、それはあの人達で解決することなのです。